天皇陛下を利用する小沢一郎1 by ほそかわ on mixi

『週刊文春』と『週刊新潮』は、取材力に定評のある週刊誌である。『文春』と『新潮』は、ともに平成21年12月24日号で、天皇陛下特例会見ゴリ押し 事件(と私は呼ぶ)について、トップで報道した。『文春』は「小沢と鳩山は天皇に土下座して謝れ」、『新潮』は「天皇陛下を中国共産党に差し出した小沢天 皇の倣岸」と題して、この事件を速報した。
『文春』は、リードで「天皇と習近平・中国国家副主席の会見は、民主党の小沢幹事長による前代未聞の『ゴリ押し』によって実現したものだった。もはや『政治利用』ではない。”独裁者”が陛下を『私的利用』したのだ」と糾弾。
『新潮』も同じく、「『ルール無視』『政治利用』と、囂々たる非難が渦巻く中、天皇陛下との”特例会見”が実現した背景には小沢幹事長の『官邸 恫喝』があった」「”1ヶ月ルール”を破り、こともあろうに天皇陛下を中国共産党に差し出した民主党の小沢一郎幹事長(67)。もはや自らを”小沢天皇” と錯誤しているとしか思えない傲岸である。総理はおろか陛下をも意のままに操ろうとする暴君に告ぐ。君、国売りたもうことなかれ!」と忠告した。
両誌の記事を総合し、また全国紙等のメディアから得た情報を加えると、今回の天皇陛下特例会見ゴリ押し事件の概要は、次の通りである。

中国の習近平国家副主席は、3年後に国家主席になる可能性が高いと見られる政治家である。
『文春』によると、天皇陛下と習氏の会見に関する交渉は、10月下旬ごろから始まっていた。外務省関係者は、次のように憤る。「こちらは1ヶ月 ルールを中国側に説明し、早急な日程確定を迫った。しかし中国側は、『12月の中央経済工作会議の日程が決まらないとわからない。来年の経済政策の方針を 決定する大変重要な会議で、習副主席は必ず出なければならない。決まったらこちらから連絡しますよ』と真剣に受け取らなかった」
「1ヶ月ルール」とは、天皇陛下と外国要人の会見は、1ヶ月前までに相手国が文書で申請を出さなければならないとするもの。「30日ルール」 ともいわれる。天皇陛下の御年齢と御体調を考慮し、平成7年(1995)3月にルール化された。宮内庁式部官長が外務省儀典長あてに「原則として希望日の 1ヶ月前に要請」という公文書を出している。ルールが作られたのは、自民党・社会党・新党さきがけの連立政権の時代。鳩山首相は当時、与党さきがけの代表 幹事だった。鳩山氏は当然、このルールについてよく知っているわけである。
「1ヶ月ルール」ができてから、政府はこれを守ってきた。6年前、陛下は前立腺ガンの手術をお受けになったが、それを機に、陛下の御健康を考 慮して、厳格に守られてきた。平成16年(2004)2月3日に式部官長が儀典長あてに「1ヶ月ルール」の徹底を求める公文書を送付している。「1ヶ月 ルール」は、内閣総理大臣を首班とする歴代政権が承知し、それを守ってきた以上、下級役人が勝手に決めたというものではない。

『文春』によると、最終的に中国側が「12月14日から3日間」という習氏の日程を伝えてきたのは、11月下旬になってからのことだった。この 時点で1ヶ月を切っていた。中国側は、当然のごとく天皇との会見を求めてきた。この時の中国側の態度について、「ハナから『次の最高権力者が行くんだか ら、1ヶ月ルールなんて何とでもなるだろう』という態度だった」と外務省関係者は、『文春』に語っている。
この間、11月19日、楊潔篪外相の随行者が、習氏の12月中旬頃の訪日を内報し、わが国の外務省が宮内庁に会見を要請した。内報とは、内密の知らせを言う。平野官房長官は、この時点で、習氏が来日することを認識した。
『新潮』によると、翌20日小沢幹事長と中国の楊外相が会談した。その席で楊氏が小沢氏に「習副主席を陛下に会わせて欲しい」と持ちかけた。中 国の外務大臣が、日本の一政党の幹事長に、こういうことを頼むのは、異常である。頼むなら、わが国の外務大臣に頼むべきだろう。小沢氏は、何年も政治家を やっているから、「1ヶ月ルール」を知っていたはずである。また習氏の来日予定が30日間を切っているからこそ、楊外相が自分に頼んできたことを理解した だろう。その後、小沢氏は、会見の実現に向けて裏で動いた形跡がある。小沢氏は、自分の実力を中国側に示したいと考えたのではないか。それは実力の誇示で はなく、中国共産党指導部への忠誠の証でしかないのだが。
11月23日、中国側が習氏の訪日日程を正式に伝達してきた。26日、外務省のアジア・大洋州局長が宮内庁式部官長に会見を正式に要請した。 宮内庁は「1ヶ月ルールで難しい」と内々に返答したが、翌27日、あらためて外務省に会見は「不可能」と伝達した。これを受け、外務省は都内にある中国大 使館に「ほぼ不可能だ」と内報した。外務省は30日に鳩山首相、平野官房長官と協議し、その後、中国側に「不可能」と正式に伝達した。
ところが、『文春』によると、11月26日以後、中国側はありとあらゆるルートを使って、天皇陛下と習副主席の会見を実現させるべく工作に奔走していた。

次回に続く。

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